マンダのりゅうせいぐんはつよい

ゴミ人間コンテスト優勝者のゴミ箱

寝れへん

整形をしたい。

そう明確に意識し始めたのはここ1ヶ月のことである。

整形をしたいと思うことは今まで何度もあった。身近な友達で埋没方手術、これは整形とは違うかもしれないがアートメイクや美容注射をしている人がいたり、Twitterの美容垢(整形をした人のツイート)を見ることが好きだったからだ。

元々酷く自分の顔にコンプレックスを抱えていたわけではない。とはいえコンプレックスがないわけではなく顔面は宇宙レベルにブス、整っているパーツもない。以前の私は軽い気持ちで整形をする気も余裕もないのに「可愛くなりたいな〜。顔面変えたいな〜。整形できたらな〜。」と思っていた。

そんな私が何故、整形を明確に意識するようになったのか。

決してキラキラしたい、イケメンと付き合いたい、ちやほやされたい、とかそんな安易な考えが全てではない。

一番の理由はやはり可愛くなりたい”これである。

以前と思っていることはなんら変わっていない。強いて言うなら「可愛くなりたい」「すごく可愛くなりたい」に変わったくらいだ。

すごく可愛くなりたいと思い始めたことによって私の中の整形をしたいという気持ちは短期間でとても大きなものになった。痛いのは嫌だし顔面工事をするのは怖い、決して安いものでもない。家族に止められるのは目に見えている。それでも整形をしたい、いや、整形する。と思うようになったのだ。

多分自分に自信がないのだと思う。性格上嫌なことも寝たら忘れるしお酒を飲めば基本ハッピーになれるのだが、どこか卑屈で気付かないうちに物事をネガティブに捉えて考える癖がある。そのせいで自分の顔を見てはぁと溜息をつくこともあった。かもしれない。(は?) 

とにかく私は自分に自信をつけるために可愛くなりたい、整形したいと考えるようになったのだと思う。

 

そもそも整形をして可愛くなれるのだろうか。恐らく顔は今より可愛くなるだろう。ただ、私の中の可愛くなりたいという願望が満たされるかはわからない。

自分の中の”可愛くなりたい”が何なのかわからない今、ダイエットも口だけでせず毎日だらだらと過ごす私が整形をして顔が多少可愛くなったところで自分に自信がつくとは到底思えない。

仮に完璧な自分になることが可愛くなることだとすれば、性格や体型は整形のように他人に任せてどうにかなることではない。全て自分の努力だ。

…無理。顔が可愛くないのに性格が良かったところでそれは性格のいいブスだし痩せたところで痩せているブスなのである。そもそも顔がブスなのに顔以外を可愛くする、良くする努力など私にはできない、というかする気が起きない。これを直さなきゃいけないんだろうね。

 

変わるきっかけをつくるにはやはり整形しかないような気がする。

今は手頃な価格でできる埋没法手術をしてみようかなと思っている。と言っても春から社会人になるため整形をする時間は無く今年中のどこかのタイミングでできたらいいなくらいの気持ちである。

 

この記事を読んで「整形!?」とか「親からもらった身体に傷をつけるなんてありえない!」って思う方はいるだろうしそういう考えが間違っているとか、悪いことだとか私は思わない。ただ、私は整形に対して否定的だったり偏見を持つ人の意見には全く興味がないので耳を傾けるつもりもない。仮に聞こえてしまったとしても何とも思わない。だから、この記事を読んでくれた方は「へーこいつ整形したいんだ」って思ってね。あと、整形したいのは目だけで、二重にしたいな〜目尻切開したいな〜って思ってる。

 

ここまで整形について長々と語っておきながら意外と軽い気持ちじゃねーかと自分で思った。すみません。でも私が変わる時には整形は必要不可欠なものだと思う。まあいつかは必ずする。

こんな感じです。